しーくれっとハムのひとりごと

ROM専が時折もらす独り言です。

にんげんのたて

吉原理恵子著「間の楔」は発表から30年以上を経ても、尚も読者を魅了する名作。

※年号にすると 昭和→平成→令和に至り、改めて感じる凄み。

結局、今回も前回、前々回の記事の続きとなりました。やっぱりキッチリ区切りを付けないと落ち着かないみたいです。

間の楔」初読みのイメージは

①機械は冷酷無慈悲

★某映画の冒頭シーンより

secretham.hatenablog.com

間の楔」初読みのイメージは

②ヒーロー不在

★某映画の冒頭シーンより

secretham.hatenablog.com

更に付け加えると人間の盾です。

私は機械は冷酷無慈悲と述べましたが、実は人間も機械に対しては冷酷です。またもや某映画の冒頭シーンですが、人類軍が破壊され上半身だけで蠢くアンドロイド兵に容赦なく銃を乱射し、とどめを刺す描写があります。所詮は機械、あくまで動く金属の塊といった認識なのでしょうか?

ただ「間の楔」と某映画の決定的な違いは機械と人類(他惑星含む)が全面対決をしていない点です。作中では"連邦"と呼ばれる他惑星群と外交を通じて少なくとも表面上の友好関係は保っているようです。惑星アモイに住まう人類も隷属とはいえ、とりあえず生かされてはいます。また歓楽都市ミダスは様々な娯楽に溢れ他惑星の人類を惹きつけています。

ここで「間の楔」における謎を一つ挙げます。何故、機械(ユピテル)の配下の人工体達は脳だけが生身なのか?

ここで「間の楔」のウィキペディアから抜粋した一文を例にとってみます。

”(中略)「冷酷な機械のイアソンがリキによって感情ある人間へと変わって行く」ストーリーとなる。”

脳が生身であることが、作中でイアソンが云うところの”人間の端くれ”である余地を残し、恋愛物語が成り立つ根拠の一つとなっています。

しかし、初読み当時の私はこの謎を某映画と絡めてSFベースで解釈していました。

もし「間の楔」の舞台、ガラン星系第十二惑星アモイに住まうのが全て機械であったら?ユピテルを始め、配下達も完全なアンドロイドであったら?

私は間違いなく作中の連邦政府は容赦なく惑星アモイを攻撃しユピテル及び配下達を殲滅したと考えています。人類に脅威を与える存在を見逃すとは思えないのです。しかも相手が単なる機械(金属の塊)であれば何の迷いも、まして交渉の余地さえ無いかもしれません。その為に「間の楔」の機械(ユピテル)は配下達に人間の要素(生身の脳)を与え、更に惑星に住まう人類を駆逐ではなく”隷属”させ、生かしているのではないか?正に人間の盾の発想、機械(ユピテル)の狡猾な方便ではないかと思えたのです。

※全て私が中学生時の初読み時の個人的見解です。

<あとがき>

これで「間の楔」を某映画と絡めて考える無理矢理考察は一旦は終了です。

ただ一連の記事を書きながらフト思ったことがあります。私の印象や考え方自体は間違いなく初読み時のものです。しかし当時の私はそれらを適切に表現する語彙力がありませんでした(今でも自信ナシ)。例えば”人間の盾”、私がこの言葉を知ったのは初読みから何年も経ってからです。具体的には911をキッカケに起きた戦争時に人間の盾となる為に、かの国へ向かった人達がいた、とのニュースを聞いた時です。

初読み当時の感覚を思い出しながら作った文章ですが、当時の幼稚でフワッとした・・・恐らく"~全部ロボットだったらブッ壊されちゃうよね~"くらいの認識をどこまで再現できているのか?実はかなり現在の思考が入っているのではないか?と我に返ることがありました。